最近よく考えること。

 

 

 最近人付き合いについてよく考えるようになった。人との付き合い方が上手だと思っていた記憶は人生の中で一時間たりとも存在しない。小学生のころから人見知りで人々と広く楽しくやることが大の苦手だった。自分を慕ってくれる数人と仲良くしてそれで満足していたし、さらに遡って保育園のころはどうだったかと思い返してみても同じように幅広くみんなと仲良くできるタイプではなかったように思う。

 

 幼いころからそんなだったので、成長してもそれが変わるわけでもなく中学高校大学とかなり限定された、狭い人付き合いを好みそうしてきた。しかし、ベルリンに来て外国にいる日本人と知り合うことになったわけだけれど、そうなると今まで自分の環境にはあまりいなかったタイプの人々と付き合うことになる。

 

 海外の日本人社会とはきっと狭いもので、誰かの知り合いの知り合いが私だったりまた逆もしかりということが多々起きる。よく、海外で生きて染まりたければ日本人とは付き合うな、というお触書を目にするけれど、本当にそんなことを実行している人はごくわずかだと思う。そうしてる人もいるのかもしれないけど、そうなら私とは知り合えないのでまた別の世界の人々である。確かに言語を習得したりその土地の文化を身に染みるにはなるべく現地人やその言語を話す人々がいる環境を用意するのが手っ取り早いだろうとは思うし、こうして日本人のアパートでぬくぬく暮らしている私も一時期はなぜ外国人たちと関われる住居を選択しなかったのか、と後悔した日もあったけれどそんな日は今まで9か月ベルリンで過ごしてきて3日ほどしかないだろうし、本当にそう思うならその時住居を変える選択をしていただろう。

 

 結局は今の住居が居心地はよく、言語の壁による誤解が生まれることもなくカルチャーショックによって悶々とすることもなく暮らしている。留学や海外生活の醍醐味としてその悶々だったり葛藤があげられるかもしれない。それを乗り越えてこそ人間として強くなり一皮むけて日本に帰ったりそのまま海外で生活することが出来ると。

 

 ものすごい刷り込み広告である。こんな刷り込みをされて留学に行ってこれらのことを経験しなければならない、そうじゃなかったら負け組であるというような意識さえ生まれる。

 

 確かに留学にはたくさんのお金がかかる。私の場合はそれをすべて母が出資してくれているので、やはりそれに値するような何かを残さねばならない、と意気込んではいるしいまだにその何かをあきらめたわけでも具体的にこれと言って決まっているわけでもない。一つは資格試験に合格することだけれど、他には特に何といったものはない。だけどそんなものじゃないか、と思う。

 

 ベルリン生活も残り3か月となった今、始まったころは気が遠くなるほど先に思えていた留学生活の終わりが自動的に近づいてきて、あと3か月も経たない内に私は日本に帰って日本での生活が再スタートするのである。そう思ったら、結局私は日本で生きていく人間であり今回の留学は私のこれから嫌というほど長い、そうベルリン生活の何十倍も長い、それこそ終わりが見えない残りの人生においてずっと付き合い続ける自分の視野をちょこっと広めるためのものだったのではないか、と思う。

 

 ようやく人付き合いの話に戻ると、ベルリンで東京にいたら知り合うことがなかったであろう人々と韓国料理屋に行って話をしたり、お祭りに行って屋台飯を食べて自分とは全くちがう見解を聞いたり意見を言われたり、体験のおすそ分けをもらったり。これらを自分の中に受け入れるかは別の話だけれど、テレビで芸能人の日常を聞いて世界がちがう、と思うようなそもそもの住む惑星がちがうレベルの世界のちがいでなく、環境レベルのちがう世界の話を聞いてふ~ん、と思う。こんなことも東京にいた私にとっては日常でなく、今のベルリン生活があったからこそ起こりえたことなのである。

 

 他人から聞いたことがすべて役に立つとは思わないしきっと今後思い出すことさえないだろう話もたくさんあるけれど逆に、人生のいたるところでふと頭に浮かんだりその時のその人の表情や声のトーンが思い出されることもきっとあるはずだと思う。

 

 たらたら書いていたら本当に書こうとしていた、広くうまく人付き合い出来る人と付き合うのが苦手という愚痴を書くことが出来なくなった、、終着点がわからないので今回はこれで。