36週間が経ちました。

 

 

 ベルリンに来てから36週間が経ちました。来た時は単純計算して40週間で帰れると信じていたのに、ここに来てあと4週間で帰ることが出来ないと発覚して悲しい気持ち。所詮は1か月を4週と仮定してそれを10か月分としただけの計算なので合わなくて当然なのですが、早く帰国したいこちらとしては残念な気分。

 

 留学中ずっと抱えていた早く帰国したい気持ちはいったいどこからきてるのか。来週のtelcの試験が終わったら気分も晴れやかにベルリン中を観光して練り歩いたりなんかしてしまって、その時にようやく日本に帰りたくないというかわいらしい気持ちが生まれるのかなあ。日本に帰ったら帰ったで就活の準備をすぐにしなければならないし、何より生えてきた親知らずをまずは抜いてしまわないといけないし。あれって抜くと顔が膨らむとよく聞くから学校も就活も何もない時期に抜いてしまわないと次いつ抜くんだという話になるから早めに抜いてしまいたい。

 

 この他にも大学の単位のことを考えたりやらなきゃいけないことはベルリンにいた時よりはるかに増えていくと思う。けど生活するってそういうことだから、やっぱり私はベルリンで生活できなかったな、生きていなかったな、と思う。ベルリンで過ごした10か月は、まだこの先あと数週間あるけど、でも今までここで過ごしてきた私は生きてなかったなあと思って、すっきりする。

 

 息をしてればまあ、それは生きていることになるけど、でも生き甲斐とか生きる喜びみたいなのはなくてそれがなかったらただ息をしているだけで、仮死状態みたいなものでベルリンで私は冬眠していたということで。冬眠して日本で今後生きていくための栄養分をためていたってことで、私の留学生活は冬眠生活だったということで。とても私らしい。

 

 日本じゃ冬眠なんてしてる時間ないし、貴重な冬眠生活。まだ数週間も続いてしまうけれど。

 

 

35週間が経ちました。

 

 

 ベルリンに来て35週間が経ちました。急に寒くなってマフラーが必要な季節に突入しました。先日久しぶりに友達と待ち合わせてご飯食べるやつをしたら、長時間外をぶらつくのが久しぶりすぎて、外はこんなにも寒く冬らしくなっていたのか、とたまげてしまった。一週間やそこらでこんなに変わるもんなのかあ、と寒空の下でゾクゾクしてました。ただ聞いてはいたけど、日本の一月や二月くらいの寒さがベルリンでは今到来しているのでかなり厳しい寒さで、おしゃれしてベレー帽をかぶるんじゃなくて生き残るために毛糸の帽子をかぶるべきだったかな、と後悔したし寒い上にドイツ語を使うのが久しぶりで外ではほとんど無言になってしまったし、お店に入っても暖かくてほっとしていたら無言になってしまって、厳しい冬とはこういうものか、と実感した。

 

 ああ早く日本に帰りたいなあ。

 

 友達がイスラム教徒なのだけれど、日本だとまずこういう友達は出来なかっただろうし彼女から聞く宗教にたいする話や姿勢はあまりにも新鮮でたまに頭がぼーっとしてしまうけど、高校の倫理の教科書に書いてあるようなことを本当に言っていて、それを生身の人間から断定的な口ぶりで聞くことが出来て私の中の世界が一ミリ広まった。だからと言って自分がどうすることはないのだけど、世界で起こる宗教対立がリアルなものになっていく。まだ白黒の世界に色がつくか、赤ちゃんが字を認識するようになる程度の変化だけど、私が実際に体験した生きた情報。

 

 ベルリンに来て、私が語学学校に通っているのもあってドイツ人と知り合うよりも他国からドイツ語を勉強しに来たり、ドイツの大学や仕事場を探すためにドイツ語をやっている人と知り合うことが多くて友達にもなりやすかった。それにドイツ語ネイティブよりもやはり勉強して身に着けた人と話しているほうが理解しやすいのもある。ドイツは移民大国だし中でもベルリンは国際的な都市と言われるだけあって、かなり国際色豊かだと思う。そんな中で色んな思惑があって私が身を置く環境にはイスラム教徒が多かった気がするなあ。

 

 今後彼らと付き合って得た情報が生きるのかはわからないけど、そういう事実は確実に存在してそれらを積み重ねて生きていくものだから私の今後に何らかの影響は残すのではないかと思われる。

 

 帰国まで二か月切ったしどんどん時間が過ぎていって早く帰国する日になって、日本に帰って空港で家族と再会してほっとして泣いてしまいたい。今も泣いてみたいけど人間簡単に泣けるものではなく、仮に何か感動的な映像や笑える映像を見て流す涙はまた完全な別物でそれだと私の泣きたい欲は収まらない。自然と泣きたくなんかないのに止まらないような涙を流したい。そういう感情の起伏を待ちわびてるんだと思う。

 

 早く帰国したいなあ。

 

 

最近よく考えること。

 

 

 今日もドイツにいながらドイツ語を一ミリも使わずに生きてる~~。外に出る時間が減っていって、もう限界!ってなるまで出ないのが好き。食べ物はおいしいものが好きなので、パンが切れた時がだいたい外に出るタイミングになっております。パンすらも買いに行きたくなくて、作ってみたら失敗してそれでようやく次の日にパンを買うために外に出ることが出来た。

 

 日本だったらこんな生活送れないだろうなあ。外に出たくなるというよりも、世間体だったり家族の目だったり、まあ働いたり大学に通ったりしないといけないからその時点で外に出るしかないんだよね。お金がないと人間生きていけないからなあ。今私がドイツでぬくぬくしているのもドイツだからじゃなくて、家族も誰も見ていないところで生活費は母が出してくれて時間はあって、というスタイルなだけで国は本当に関係ないな、ドイツだからってやる気の出ることも日本だからって嫌になることもないと思う。

 

 人の脳と心と体は全部別物だから人間が生きていくって本当に大変だ。どれか一つでも不調ならそれが私自身の不調になるし、三つのもののコンディションを整えて保って生きていくのって本当に難しい。毎日どれかしらは不調になるし、それでもやらなきゃいけないことはあるし生きていかなきゃいけないし、そのためにお金をゲットしないといけないし。

 

 生きるって何だろうとは思わないけど、正常って何だろうって思う。こんな毎日を過ごしてて心が落ち込んだり次の日起き上がれなくなったりすることってめちゃくちゃ正常よなあ。規則正しく毎日ハツラツとしてる人のことをすごいって思ったこともあったけど、今もすごいとは思うけどそれが正常なのかなあ。鬱になったり心の調子が優れないと異常で心の病気ってレッテルを貼るし貼られるけど、なんだかなあ。

 

 ま、分類されるのが世の常なので正常と異常って概念が残ってて分類され続ける限りこんなこと考えたって結論は出ないし意味がないのだけど。

 

 こういう時はひたすらに小松さんの曲を聴く。もちろんアイドルも好きなんだけど、やはり彼女たちって私の中ではパフォーマーだから歌だけを聴くってなかなか出来ないんだよね。動画を見るのはめちゃくちゃ好きなんだけど。純粋に歌だけってなったら、あと何人かいるけどはずれがないのが小松さんだと思う。彼女はライブ映像もないし、МVはあるんかな?私は見たことないんだけど、気持ちがぼやけてるときは小松さんの歌をひたすらに聞く。それで心に日差しがとかはないんだけど、小松さんの歌を聴いてるとぼや~っとしたままでいられる。心がざわざわしないし心にきて、脳に届いて体全体に染みわたっていく。これこそまさに私の三つの機能、精神安定剤

 

 

34週間が経ちました。

 

 

 ベルリンに来てから34週間が経ちました。何度か言っていると思うけれど、ベルリンは本当にすっかり秋です。道にたくさん落ち葉がある上にヨーロッパの道というのは石畳だったりするのでかなり歩きづらい。現地人はもう慣れっこなのだろうが、ヨーロッパどころか海外で初めて秋を迎えた私からしたらあの道は一歩間違えれば死ぬのではないか、と思い毎回落ち葉が敷き詰められた道を目にすると、歩くスピードをかなり落として慎重に歩く。まるで雪の上を歩くみたいに。

 

 日本のいいところは何ですか、と聞かれた時にあまり浮かばないので四季や町の清潔さを答えるしかない。その時に秋は紅葉がきれいで、と言うけれどベルリンの秋の美しさもなかなかだと思う。ベルリンは都会だとよく耳にするけれど、自然の多さや夜の暗さからして日本人が思い浮かべる都会さとはかけ離れたものを目の当たりにすることが多い。そんな都会なベルリンでは町のいたるところで緑を目にするけれど、そんな緑が今はそこに黄色が混じって秋らしさを生んでいる。日本の秋とはどんなものだったかと思い出そうとしてもなかなか記憶が蘇らない、これは秋に限らずなのだけれど。多分日本の秋も美しかった、だけどそんなことを大事に思う心のスペースも時間もなかったんだと思う。ただ冬の空気の澄み具合はよく覚えているしそれが大好きで、寒い寒いと言いながら出かけてコンビニで肉まんを買ったりカフェによってミルクティーを飲んでゆったり過ごす、そんな冬が私は好きでそれは忘れてない、私の大事な冬の記憶。

 

 日本に帰ったら去年も一昨年の秋や春がどんなだったかを思い出せるくらい大切に生活してみたい。コンクリートの整備された道でもゆっくり歩いて、私の時間をしっかり生きてみたい。

 

 残り二か月。ああやっぱり早く帰りたい。

 こんな独り言の備忘録を読んでくださってる方がいることが嬉しくて自分では恥ずかしいのですがありがとうございます。留学についての情報が全くなくてすみません。今後も書けるかわからないけれど、書きたいときに書きます。多分ツイッターから飛んできてくださる方が多いと思うので一応。今はツイッターはまったく見ていません、アカウントはあるけどアプリを消しました。日本に帰ったら多分またやるかもしれないけど今の私には必要ないものなので。

 

 

33週間が経ちました。

 


 ベルリンに来て33週間が経ちました。10月も後半に入り、ベルリンは天気が不安定で私も何だかもやもやすることの多い日々を過ごしています。留学をすると、同じように留学や海外にいる人々と出会って彼らがなぜここに来ているか聞く機会があるのですが、そのたびに凹むことが多い。他人と自分を比べることは何も意味がないと言っている人をよく見るし私もそうだろうなあ、とは思っているけど現実比べてしまう。そういう性格だもの仕方ない。そんで凹むし焦る。そういった感情をバネに成長できる人間ならまだいいのだけれど、そのタイプでもないので卑屈になるし劣等感を抱えて全てをシャットダウンしたくなる。

 そんな時に松田聖子の『天国のキッス』に出会って最近は何かと聞いている。もともと昭和の歌謡曲は大好きで聖子ちゃんも中森明菜も、河合奈保子Winkも、まあとにかく昭和のアイドルも愛してやまない。ハロプロよりも小松さんよりも先に好きだったのが彼女たちで、高校生の頃からカラオケでは木綿のハンカチーフとか赤いスイートピーを歌っていたくらい。

でも当時は有名なアイドル歌謡曲を満遍なく聞いていて、もちろん天国のキッスも有名で名曲なのだけどその時はまだ魅力や聖子ちゃんが持つ声の力に気付いてなくてただ漠然と聞いていた。

 それが最近、こんな鬱々とした毎日の中で出会った。まずイントロ、細野晴臣さんが作曲で彼がイントロからキーボードで奏でる映像を見たのだけど、あの天国にいるかのような地に足のついてない浮いたようなメロディ。そこからしてぐっと高揚感が生まれて、その後に聖子ちゃんが歌い出すのですがすでにメロディで天国にいるのであとは聖子ちゃんのキッスの部分。この曲は聖子ちゃんのブリブリ感がマックスで特にダーリンポーズと言われている曲中の振り付けは本当に脳がとろけて幸せな気持ちになる。人間幸せ度が高まるとお腹いっぱいになるもので私はこの曲を聴くと満腹になる。

 

 歌詞や曲の解説は出来ないのでそっちのことを言いたいんじゃなくて、私は聖子ちゃんが本当に歌が好きであのニコニコ笑顔で歌う姿が本当に好きだ。聖子ちゃんの時代のアイドルはあまりダンスが重視されてなかったように思うし、それは正解だったと思う。みんな歌が歌いたくて、歌でちやほやされたくて出てきているしそこのハードルが高くて歌が上手くないと出てこられない世界だったと思う。歌が歌いたくて、それだけでもう十分アイドルになる理由になっているしアイドルはそれだけでいいと思う。逆に歌だけでこちらをこんなに幸せな気持ちにしてくれる子が一人でも出てきてくれたらそれはもう何よりアイドルファン冥利に尽きるものである。

 今のアイドルは、と比べられる存在ではないのだけれどどうしても比べてしまう。土壌も時代も、今のアイドルファンが求めるものも昔と今とでは違っているのだから、その需要を満たすアイドルが変化するのも当然のことだというのは十分にわかっているつもり。人間の好みの多様化だけでは割り切れないものがそこにあるのではないか、私はそこにあえて一歩踏み込むことは出来ないけれど。

アイドルは歌が歌いたくて、なる。それ以外に私は何もいらない。ダンスが好きで、踊りも歌も両方好きでとかはたまた女優になる通過点として、人生の経験のために、誰々に憧れてとか、そういったことは私の中では全て邪道になってしまった。天国のキッスを聞いてから。

もしかしたら聖子ちゃんも歌を歌いたいだけで入ってきたのではないかもしれない、けれど、あの振り付けもダンスもほぼ皆無で歌声と目配せでこちらの心をぐっと掴んで離さない、その事実がある。

 ダンスが好きならダンサーになってほしいし踊りと歌が好きならどちらかに絞るか両方極めてから求められる場所に行ってほしい。みんなそれぞれ能力が求められる場所に収まってほしい、アイドルが飽和してる今、たくさんの子がアイドルになって実りなくやめていく。勝手に応援しておいて言うな、と言われそうだけど応援している側の身にもなってほしい。先日ハロー!のカントリー解体のニュースを観て強くこういったことを考えるようになった。梁川奈々美ちゃんが卒業発表した辺りかその前くらいからアイドルを好きでいることに疲労を感じ始めていたけど、今回の解体でアイドルにたいしての感情が老けてしまった。

 今のアイドルに求められるものとアイドルが求めているもの、それが私が描くアイドル像とかけ離れてきていて、ハロー!が崩れ出したことをきっかけにその差を見ないふりが出来なくなったのだろう。

 今は歌うことが好きで歌いたい子はアイドルにならないし、歌手としてデビューしてもすぐに消えてしまう。聖子ちゃん時代の神がかったプロデューサーや作曲家、作詞家がいない。本当に奇跡だったのだ、あの時代に作詞作曲家陣に加えて歌姫が歌声を添えるなんて、今後昭和のアイドルのようなアイドルが出てくるわけがない。

 

 イタリアから帰ってる途中に書いたのですが、疲弊からイライラに繋がってしまって荒くなってしまった〜〜。

 

32週間が経ちました。

 

 

 ベルリンに来て32週間が経ちました。今週は特にこれといったことも起きず、安定した1週間だった気がする。学校に行ったりヨガやピラティスに行って、韓国料理目当てにホームパーティに参加してタンデムをして、という感じ。

 

 残り2か月と2週間ほどになってから、今まで生活に必要だった食品や生活用品を新しく買う必要が少なくなってきて、私のベルリン生活もやっと終わりが来るのだなあ、としんみりすることが多くなってきた。

 

 私はストック癖があって、化粧水とかお菓子とか気に入ったものは買いだめするのが常で、ベルリンでは特にお気に入りのボディソープとか化粧水がいつお店の商品の入れ替えでなくなってしまうかわからないし、なくなった時にまた自分に合ったものを見つけるのが大変なのでいつも1つ使い切るたびに3個くらい買っていました。だけどもう残りの生活分は買い貯め済みなので、今後もう買う必要がなくなってそこが少しさみしい気がする。

 

 ご飯もバターや牛乳、野菜などの生ものはその時々に買う必要があるのだけれど、他のパスタや米、小麦粉や砂糖などの常備品は今後買い足す必要がないかなくなったらその時に買えばいい、というくらいすでに家にあるため最近はスーパーに行ってもお土産にするお菓子を選んだり果物を少し買うくらいで済むようになりました。

 

 勉強の気晴らしか逃避か、合間に試験が終わった後の旅行の計画を立てているのですが、12月は待ちに待ったクリスマスマーケットの時期ということもあって、たくさんドイツの都市を回るためベルリンにいる日がほぼなくなりそう。まだベルリンの要所をほとんど観光していないので、それは今月や11月にちょこちょこ消化出来たらいいなあと思っています。

 

 

最近よく考えること。

 

 

 最近人付き合いについてよく考えるようになった。人との付き合い方が上手だと思っていた記憶は人生の中で一時間たりとも存在しない。小学生のころから人見知りで人々と広く楽しくやることが大の苦手だった。自分を慕ってくれる数人と仲良くしてそれで満足していたし、さらに遡って保育園のころはどうだったかと思い返してみても同じように幅広くみんなと仲良くできるタイプではなかったように思う。

 

 幼いころからそんなだったので、成長してもそれが変わるわけでもなく中学高校大学とかなり限定された、狭い人付き合いを好みそうしてきた。しかし、ベルリンに来て外国にいる日本人と知り合うことになったわけだけれど、そうなると今まで自分の環境にはあまりいなかったタイプの人々と付き合うことになる。

 

 海外の日本人社会とはきっと狭いもので、誰かの知り合いの知り合いが私だったりまた逆もしかりということが多々起きる。よく、海外で生きて染まりたければ日本人とは付き合うな、というお触書を目にするけれど、本当にそんなことを実行している人はごくわずかだと思う。そうしてる人もいるのかもしれないけど、そうなら私とは知り合えないのでまた別の世界の人々である。確かに言語を習得したりその土地の文化を身に染みるにはなるべく現地人やその言語を話す人々がいる環境を用意するのが手っ取り早いだろうとは思うし、こうして日本人のアパートでぬくぬく暮らしている私も一時期はなぜ外国人たちと関われる住居を選択しなかったのか、と後悔した日もあったけれどそんな日は今まで9か月ベルリンで過ごしてきて3日ほどしかないだろうし、本当にそう思うならその時住居を変える選択をしていただろう。

 

 結局は今の住居が居心地はよく、言語の壁による誤解が生まれることもなくカルチャーショックによって悶々とすることもなく暮らしている。留学や海外生活の醍醐味としてその悶々だったり葛藤があげられるかもしれない。それを乗り越えてこそ人間として強くなり一皮むけて日本に帰ったりそのまま海外で生活することが出来ると。

 

 ものすごい刷り込み広告である。こんな刷り込みをされて留学に行ってこれらのことを経験しなければならない、そうじゃなかったら負け組であるというような意識さえ生まれる。

 

 確かに留学にはたくさんのお金がかかる。私の場合はそれをすべて母が出資してくれているので、やはりそれに値するような何かを残さねばならない、と意気込んではいるしいまだにその何かをあきらめたわけでも具体的にこれと言って決まっているわけでもない。一つは資格試験に合格することだけれど、他には特に何といったものはない。だけどそんなものじゃないか、と思う。

 

 ベルリン生活も残り3か月となった今、始まったころは気が遠くなるほど先に思えていた留学生活の終わりが自動的に近づいてきて、あと3か月も経たない内に私は日本に帰って日本での生活が再スタートするのである。そう思ったら、結局私は日本で生きていく人間であり今回の留学は私のこれから嫌というほど長い、そうベルリン生活の何十倍も長い、それこそ終わりが見えない残りの人生においてずっと付き合い続ける自分の視野をちょこっと広めるためのものだったのではないか、と思う。

 

 ようやく人付き合いの話に戻ると、ベルリンで東京にいたら知り合うことがなかったであろう人々と韓国料理屋に行って話をしたり、お祭りに行って屋台飯を食べて自分とは全くちがう見解を聞いたり意見を言われたり、体験のおすそ分けをもらったり。これらを自分の中に受け入れるかは別の話だけれど、テレビで芸能人の日常を聞いて世界がちがう、と思うようなそもそもの住む惑星がちがうレベルの世界のちがいでなく、環境レベルのちがう世界の話を聞いてふ~ん、と思う。こんなことも東京にいた私にとっては日常でなく、今のベルリン生活があったからこそ起こりえたことなのである。

 

 他人から聞いたことがすべて役に立つとは思わないしきっと今後思い出すことさえないだろう話もたくさんあるけれど逆に、人生のいたるところでふと頭に浮かんだりその時のその人の表情や声のトーンが思い出されることもきっとあるはずだと思う。

 

 たらたら書いていたら本当に書こうとしていた、広くうまく人付き合い出来る人と付き合うのが苦手という愚痴を書くことが出来なくなった、、終着点がわからないので今回はこれで。