謝り続けるってこと。

 

 

 謝ったら何でも昇華されるのでしょうか。謝れば謝った分だけ価値は下がるし信用もなくなるし、そういう人の言う「ごめんね」は疲労と怒りと虚無とって姿を変えていって、でもその人は心から本当に悪いとか申し訳ないと思って連射してるかもしれないし悪い人だとは思えないから、ただただ自分の中でやり過ごすしかなくてすっごく疲れてこんなこと考えてる自分をどうしようもなく思って、自分のことも相手のことも嫌いにはなれなくて切れなくて結局私が許してあげるしかなくて、本当に疲れる。

 

 それに限る。嫌なことをされた方がよっぽどマシ。日本ではこういう人、周りにいなかったから、一番近いのは母だったかな、でもそれなら慣れているし。

 

 怒るってのも疲れるけど、本当の疲労は一番疲れる。本当にごめんねって思ってるなら言わないでほしい、行動で示してほしい、謝罪の言葉をもっと大切にした方がいい。謝り倒されて気分がよくなる人間もいるんだろうけど。ごめんねって言うならもっと自分で行動できることとか私の状況とか、四文字発する労力をそっちに回してほしいけどその人にとってのそれは息をするのと同じだからそれほどの労力には相当できないんだろうな。

 

 でもそれって、ごめんねって言えばどうにかしてもらえる世界で生きてるんだからそのままの世界で生きてほしい、私のとことはあまり交えないだろうけど、だけどその人のことが嫌いとかじゃないから、ただその人からごめんねって言葉を聴くのが大嫌いになりつつあるだけだから、楽しい時間だけを過ごせたらいいなって思う。